6月17日(木)
一ヶ月振りに妻が退院しました。
とても清々しい天気のいい日でした。
退院の際バタバタするとは思っていましたが想像以上に大変でした。
退院当日の9時過ぎに実家に頼んでいたエアマットや枕が届いたのでセッテイングをし、11時頃自宅に戻り色々用意して12時頃病院に行き退院の会計を済まし病室へ。
これから実家にて訪問看護を受けるので尿の処理の仕方や体位の変え方等を教わり(大体は知っていました)、色々な書類にサインし病室の荷物を急いで纏めて車椅子で介護タクシーへ。
妻は肉がほぼ無くなってしまっていたので車椅子に座るのもしんどく、座ると身体のあちこちが痛くなり少しの移動でも大変でした。
それでも病室を出て病棟を出る時はお世話になった先生や看護婦さんたちが見送って下さり妻も泣いていました。
関わって頂いた皆さんは口々に「妻に会えてよかった」と言ってくれて本心からそう言ってくれていると感じました。
僕の知らないところで色々な話しをしたのだと思います。
別れ際皆さんに「ご主人頑張ってね。ご主人が大変だからね」と何度も言われました。
入院していたこの一ヶ月が既に大変だったので少し不安になりました。
13時頃実家に着いたのですが13時半頃からお世話になるクリニックの先生、訪問看護の看護師さん、ケアマネージャーさんたち総勢10名位が一斉に来られ色々セッティングやカウンセリングをしてくれました。
色々なところで色々なことが行われていたので話しが出来る人と出来ない人が出てきてしまいちょっと不安になりましたがなんとか無事終了しました。
妻も大変だったとは思いますがほっとした感じでした。
最後に娘「かんな」(キャバリア♀)を自宅から実家に連れてきました。
実家では点滴と痛み止め(手元で操作できる医療麻薬)と尿の管が繋がっていたのですが、その日の夜中に痛み止めのスイッチを入れたところいきなりエラーになりました。
夜中1時ころ看護師さんが来てくれて直してくれましたが24時間体制でいつでも来てくれるとのことで心強かったです。
6月18日(金)
朝、「かんな」を散歩に連れて行きましたが全く落ち着かず家に帰りたいのか駐車場の他人の車の周りをぐるぐる回っていました。
家の中でも落ち着かずずっと「ハッハッ」と荒い呼吸をしていて心臓にも負担が掛かっているなという感じでした。
妻と「かんな」を父に見てもらいその間自宅に戻り花に水をあげたりタオルやハンコ等必要なものを持って実家に戻りました。
急いで三時間位で用事を済ませて戻りましたが妻は寂しいというか不安らしく「二時間位でなんとかして」と言っていました。
僕は少しイラっとしてしまい「往復で30分弱かかるので二時間は無理や」と言ってしまいました。
父がいるとはいえ自分では何も出来ない状況なのでやはり僕に側にいて欲しかったのだと思います。
大体一時間置き位で体位を変えないとどこかしらが痛くなってくるようでしたがどの体勢をとっても楽ないい姿勢はなかったようでしんどそうでした。
加えてお尻の仙骨の辺りが床ずれの一歩手前になってしまいそこは常に浮かせるようにするのが大変でした。
お尻の両側に小さい枕を引いて浮かせたりしていたのですがそれもずっとは続かず一時間位が限度でした。
横を向いてもしんどいし身体を起こしてもしんどく何をするにも少しずつしか出来ず本当に大変そうでした。
そして直ぐに身体が足元の方にずれていってしまいました。
ベッドを起こす際にどうしても下にずれていくようで、ずれる度に身体を上に戻さなければいけませんでした。
上に戻した後は背中の服を整え頭も髪の毛で引っ張られている感じになるので首を起こして直してあげなければいけませんでした。
首も自分では動かせない状態だったので本当に辛そうでした。
それでもなんとか少しずつでも良くしていこうと前を向いていました。
日々のやることは「点滴の交換」、「尿の処理と量の測定」、それと妻の要望に応えるという流れが出来てきました。
6月19日(土)
妻は常にしんどそうでしたが寝起きは特に身体が固まってしまいマッサージ等をしてあげないときつそうでした。
自分で身体を動かせないので固まってしまうとどうしようもなくなってしまうようです。
恐怖感もあったと思います。
「かんな」の家に帰りたいオーラもピークで全く落ち着かずお腹も下してしまいそこら中でうんちを漏らすようになりました。
妻を診るのでも精一杯なところ「かんな」まで見る羽目になりこれは不味いと思いました。
父も82歳ですし無理もないのですがあまり妻の言うこと(思い)が伝わらず結局僕に色々回ってきて少しイライラしてしまいました。
「かんな」の不調というかこの状況は予想外でした。
6月20日(日)
「かんな」が夜も殆ど眠らずソワソワしているので朝自宅に連れて帰りました。
実家と自宅はバイクで15分弱位の距離でそれほど遠くはありません。
また夜に連れ戻しに来たらいいと思い少し一緒にいて落ち着かせてからケージに入れて実家に戻りました。
夕方「かんな」を迎えに行くとケージ内でオシッコをしたようでビショビショになっていました。
今まではケージ内でオシッコをすることはなかったのですが何かおかしくなってしまったのでしょうね。
慌ててお風呂に入れてから「かんな」は家に置いたまま実家に戻りました。
僕も殆ど眠れていなかったので「かんな」を夜一人にするのは心配ではありましたがお陰で少し眠ることができました。
6月21日(月)、22日(火)
朝「かんな」を迎えに行くと今度はうんち(軟便)まみれになっていました。
またお風呂に入れてから一度実家に戻り妻のことを色々して家に戻り20時頃「かんな」を近くの病院に連れて行きました。
精神的な要因でしょうということで取り敢えず下痢止めを処方してもらい、飲ませてその日も家に置いて実家に戻りました。
妻はここ数日便秘気味だったので看護師さんに座薬を入れてもらい、その二時間後くらいに便意が来たということでポータブルのトイレに移動して用を足したのですがポータブルに移動するのも一苦労で何でも普通にできるということは本当に幸せなことなんだと痛感しました。
自力で立てない人を移動させるのは思った以上に大変でした。
力を入れ過ぎると痛いようで痛くないように持つ(支える)というのは難しいですね。
妻は体重が軽いほうだったのでまだやり易いほうだったのかもしれませんが苦労しました。
6月23日(水)
また「かんな」を実家に連れて行きました。
下痢止めもあるので大丈夫だろうということとやはり一人で家に置いておくのは心配だし行ったり来たりも大変でしたので。
この頃から妻は水を飲むのも辛くなっていました。
これまでも食べ物は殆ど食べれていなかったのですが飴やジュースは飲めていました。
ですが最近は少しの水を飲んでも直ぐ戻してしまっていました。
どうやら肝臓がかなりダメージを受けているらしく、先生や看護師さんたちは「点滴で栄養は入っているので無理に食べなくていいですよ」と言っていました。
ただ妻は出来るだけ口から栄養を摂って治していこうと思っていたので食べれなくなるということはかなりショックだったと思います。
それでもいつも「じゃあどうすればいいかな?」と言って何とかしようとしていました。
常に何とかしようとする姿勢には本当に感心しました。
6月24日(木)、25日(金)
この頃から妻のエネルギーがかなり下がってきたと思います。
右足にヘルペスも出来てしまい更に気持ちも下がってしまったと思います。
痛み止めも効きにくくなってきたので貼るタイプの痛み止めも出してもらいました。
「かんな」は下痢止めのお陰でお腹は治ったようでした。
妻は家(自宅)に戻りたくなってきたようでした。
先日無くしたキーケースが出て来たと警察から連絡がありました。
予想していた団地の敷地内に落ちていたようで、僕が探しに行くより先に管理人さんに拾われて団地内に張り紙もされていたようです。
誰からも届出がなかったので管理人さんが警察に届けてくれたとのことでした。
あのまま真っ直ぐ帰っていたら事故にでも遭っていたのかもと思うことにしています。
6月26日(土)
ケアマネージャーさんに家(自宅)に移動したい旨を連絡したが土日はお休みとのことで返事は月曜日になりました。
家に戻るとなると僕一人で見ることになるので父や妻のお兄さんたちに可能な時は来てもらうしかないが家を空けることが殆ど出来なくなるので大丈夫かなと不安になりました。
それでも僕もどこかで家のほうがいいと思っていました。
「かんな」も落ち着くでしょうし僕もやはり家のほうが落ち着けますし。
そして「何事も迷ったら難しいほうに行け」という言葉を僕たちは常に実践するようにしていましたので。
6月27日(日)
夜中も大体一時間置きに妻の体勢を変えるのですが、早朝3時頃に妻を動かす際に腰を痛めてしまいました。
ずっと気をつけてはいたのですがちょっと寝ぼけていて力もしっかり入らずで痛めたようです。
直ぐにアイシングをしたのでマシではありましたが気を抜いてしまいました。
僕が倒れる訳にはいかないので寝起きは特に気をつけようと思いました。
でもベッド(マットレス部分)がキャタピラのようになっていて自動で身体の位置を戻せるベッドがあれば皆助かるのになと思いました。
この頃から妻が上手く話せなくなってきて言ってることが分かり難くなってきました。
6月28日(月)
ケアマネさんから連絡があり、自宅にベッドとエアマットを明日の15時に届けてくれるとのことになった。
いよいよ移動が決まってきたが妻の体力的に大丈夫だろうか?
「かんな」は実家に大分慣れてきた様子。
16時頃自宅に行き家賃を振り込んだり家の掃除(準備)をしました。
その後再びケアマネさんから連絡があり30日に移動しましょうということになりました。
急いで介護タクシーを予約して移動のことを妻に報告しました。
嬉しそうでしたがかなりしんどそうでもありました。
痛い時は何回でも痛み止めを使用していいですよとのことでしたが、やり場のないしんどさとかの時は使用しないで座薬で対応してみて下さいと言われました。
痛み止めは麻薬なので一応むやみに使用はしないでとのことでした。
「何回やったらええねん」と妻は少しご立腹気味でした。
6月29日(火)
やり場のないしんどさがあるようで夜中に何度も起こされたのでかなり眠いが妻はもっとしんどそうでした。
昨日痛み止めをむやみに使用しない旨を言われたので我慢したのではないかと思います。
明日の移動は大丈夫なのか不安になりました。
15時頃自宅に行きベッドとエアマットをセッティングしてもらいました。
いよいよ明日こっちに帰って来るんだなと実感しました。
明日の移動の際10時に点滴を止めて14時にまた点滴を繋ぎに看護師さんが来てくれるとのことでしたが妻は点滴が4時間外れることに不安な様子でした。
一度低血糖で倒れているのでそのこともあったのだと思います。
しかも以前は移動中は飴を舐めたり出来ましたが今は飴も舐めることが出来ない状態だったので余計に不安になったと思います。
妻の心臓の音がいつもより弱くなっている気がしました。
外ではニイニイゼミが鳴き始めていました。
6月30日(水)
7時に「かんな」を散歩に連れて行きそのまま自宅に連れて帰りました。
久しぶりに家に戻った「かんな」はとても嬉しそうでした。
9時頃実家に戻り10時に看護師さんが来てくれて点滴を外したり移動の準備をしてくれました。
14時に家に行きますが万一それまでに何かあったら連絡して下さいとのことでした。
10時半に介護タクシーが迎えに来てくれてストレッチャーで移動。
妻のお兄さんたちも来てくれたので助かりました。
ただストレッチャーも妻には硬いようで痛いと言ってなかなかいい感じにならず焦りました。
タクシーには同乗しましたがけっこう揺れるので妻はしんどそうで心配になりました。
常にここはどこやでとか声を掛けるようにはしていましたがあまり反応はありませんでした。
何とか家のベッドに寝かすことができましたが今までとは様子が違い発している言葉も分からなくなってしまったので看護師さんに連絡しました。
直ぐに駆けつけてくれ容態を見て低血糖ではないと思うけど手持ちの点滴を打ってみますということで打ってもらうと妻の容態がましになりました。
正直もうだめなのかなと思いましたが復活してくれてほっとしました。
15時頃看護師さんが連絡してくれて先生も来てくれました。
妻の容態を診て少し妻と話しをした後僕とお兄さんと先生の三人で話しをしました。
残念ですが今日、明日辺りが山だと思って下さいとのことでした。
昨年の8月から何度もこういう重苦しい空気を味わって来ましたが全然慣れませんね。
いよいよかという思いとまだ諦めたらあかんこれからやろという気持ちが入り乱れました。
何より本人がまだ諦めていないのに周りが諦めるのは絶対だめだと思いました。
7月1日(木)
昨夜も30分置きに妻がお尻が痛いと言ったりして起きたので殆ど眠れずでした。
妻は昼間はけっこう寝ていることが多かったのですが自分はその間に洗濯や普段出来ないことをやるチャンスだったので殆ど寝る時間はありませんでした。
14時頃看護師さんが来てくれていつものように色々お世話をしてくれたのですが、帰り際にもうそろそろお別れだと思うので来て欲しい人は呼んだほうがいいと言われました。
直ぐにお兄さん夫婦と父には連絡し来てもらいましたがそれ以外の人には連絡はしませんでした。
以前から連絡はしていませんでしたし本人もあまり会いたくないと言っておりましたので。
痩せて変わり果ててしまった姿を見られるのは嫌だったのだと思います。
どの位痩せるのかというと今のアントニオ猪木氏の痩せかたとよく似ています。
本当に骨と皮しかないくらいでしたので自分で身体を動かせないのは当然だと思います。
それくらい痩せると見た目がお婆さんのようになっていました。
その姿を見て「がん」というより急激に年をとっていく病気のように感じました。
きっとずっと生きていたらこういう感じになっていったのだと思います。
僕は年老いていく妻の一生を見せられたのかもしれません。
もう妻の発する言葉は言葉になっていないことが多く理解出来ないことが多かったのですが「生きたいな」と聞こえた時は胸が詰まり上手く返事をすることが出来ませんでした。
その後少し落ち着いた隙を見て「かんな」の散歩に出ましたが、家の中では今にも燃え尽きようとしている命があるのに外ではいつもと変わらない世界が広がっていて不思議でした。
その夜呼吸がゆっくりになったので21時頃もう一度お兄さんたちに来てもらいました。
玄関の鍵は開けておいて勝手に入って来てもらいサプライズのような感じにしたのですが、妻は「どうやって入ったん?鍵は?」と冷静に聞いたのには感心しました。
7月2日(金)
昨夜も何度も起きました。
もう妻が何を言ってるか理解が出来なかったのでこうして欲しいのかなと思うことをやって反応を見ていました。
ただ一度「疲れたな」とはっきり言っていました。
先生も来て往診してくれましたがもうやることはあまりない感じでした。
それでも先生の声掛けには反応し妻の気持ちの強さには本当に感心しました。
夜は穏やかな一定の呼吸になりました。
もう声を掛けても反応はなかったのでそっとしておこうと思いました。
時折痛みのせいか腕を上げたりしていました(勝手に上がっていたのだと思います)。
たまに苦しそうにした時は僕が痛み止めのボタンを押しました。
そしてよく眠れるようにと22時に不眠時用の座薬も入れました。
穏やかに眠っていましたし呼びかけに反応もなかったのでアニータ・ムアジャー二さんの本を読んで聞かせてあげました。
昏睡状態になっても耳は聞こえていると聞いたことがありましたので出来るだけ声をかけ続けました。
もういつ何時どうなるか分かりませんでしたので妻が手を動かすと分かるようにしっかり手を握って寝ました。
夜中に何度か手が動いたので目が覚めましたが妻は起きてはいませんでした。
7月3日(土)
7時過ぎに看護師さんから奥さんはどうですかと連絡がありました。
見ると穏やかに呼吸をしていたので「昨夜と変わりはないです」と伝えると「では9時頃伺いますね」ということになりました。
僕もまた妻の手を握りまたうとうとしました。
ふと8時に目覚め妻を見ると呼吸が止まっていました。
何度か呼びかけて心臓マッサージもしましたがもう何もしないほうがいいかなと思い看護師さんに連絡しました。
直ぐに駆けつけて下さり診てくれましたがやはりもう亡くなっているとのことでした。
恐らくですが亡くなったのは7時40分くらいじゃないかと思います。
妻のお兄さんの奥さんがずっとお祈りをしてくれていて、その日もお祈りをしていたところ7時40分頃「もうお祈りせんでいいで」と妻から連絡が来たと言っておられましたので。
その後9時頃先生が来てくれて死亡が確認されました。
今までよく頑張ったねという気持ちと生かせてあげられなくて申し訳ない気持ちと色々な気持ちが入り乱れました。
取り敢えずもうどうしようもないので「かんな」の散歩に出かけました。
曇りという天気予報とは裏腹にとても清々しいいい天気でした。
家には亡くなった妻がいましたがやはり外ではそんなことは関係なく日常が流れていて不思議な感覚になりました。
その後は落ち着いてから葬儀屋さんに連絡し7月5日に葬儀を行いました。
身内のみの葬儀でお通夜もなく自宅で行いました。
亡くなってから葬儀までの二日間一緒に過ごしましたが最後に二人だけでゆっくり過ごせてよかったと思っています。
久しぶりに酒を飲み、ギターも弾いて歌も聴かせました。
48年間が長いか短いかは分かりませんが人生は長さではないと思っています。
ただ妻は今回看護師さんと関わって、「病気が治ったらこういう人助けの仕事がしたいな」と言っていたのでまた生まれ変わってどこかで人助けの仕事をするのだろうと思っています。
長々と退院してから亡くなるまでの日記のような感じで書かせて頂きました。
本当に大変な日々でしたが本人はもっと大変で苦しかったと思います。
もっともっとしてあげられることがあったかもしれませんが自分では頑張ったつもりです。
治った暁には「こんなにやったんやで」と言うつもりでしたがそれも叶いませんでした。
ただ亡くなる前日からは本当に穏やかで自宅で過ごせてよかったと思っています。
亡くなってからは色々バタバタするのが嫌でしたのでゆっくりじっくり過ごしました。
葬儀屋に連絡してとか喪主がどうとかお寺さんに連絡とかどうも好きになれません。
愛する人が亡くなったのです。
急ぐことなんてないと思いますし故人を偲ぶことが第一だと思います。
自分のわがままかもしれませんがゆっくり納得いくように動きました。
それでも人として至らない僕は位牌を見た時それがとてもちっぽけに感じて腹が立ちました。
今回の経験で思ったのは
人生は大きな流れの一部であって常にベストなことが起こっているということ。
時間というものはないということ。
この一年弱の間に色々本を読んだりしましたが臨死体験をしたアニータさんの本は腑に落ちました。
死後は言葉では表せないくらいの世界が広がっていて妻もそっちに行ったのだろうと思っています。
ただ僕がもう少し人徳があって奇跡を起こせるような人間だったら妻も助かったかもしれないのですが残念ながら僕はそういう人間ではありませんでした。
申し訳ないです。
でも僕や妻のお兄さんはまあまあ滅茶苦茶なことをしてきたと思うのですがどうして一番まともな生活を送っていた妻が病気になるのでしょう。
本当どうなるか分かりませんね。
生前妻と関わって下さった方々本当にありがとうございました。
たまに思い出してもらえると妻もきっと喜ぶと思います。
妻には感謝しかありません。
知り合ったのは高校一年生の時なのですが今までよく我慢して付き合ってくれたと思います。
今はいいことばかり思い出すのですがそんなはずはないので腹が立ったこと等を思い出して寂しさを紛らわせるとします。
それと解禁になった酒で。
僕はまだ色々手続き等やらなければいけないことがありますが少し落ち着いたらこれからどうしていこうか考えていきます。
一人になった今(「かんな」がいますが)、今の家は少し広いですので引っ越しをするか等ぼんやり考えています。
取り敢えず妻の残していったものをゆっくり片付けていこうと思っています。
そして今回色々な形で関わって下さった皆様本当にありがとうございました。
何かしらの縁で出会っているのだと思っています。
一瞬しか出会わない人とかもいますがそれも大きな絵の大事な一点なのかもしれないと思うようになりました。
また動き出したら報告させて頂きます。
いつ終わりが来てもいいように楽しんで行こうと思っております。
どうか皆さんも健康第一で。
でーすいらも〜ん
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